『ネタにマジレス乙』

ネタにマジレスされると怒る人間が一定数存在する。

好きなアイドルを批判されて怒るヲタクと同じような精神構造なのだろう。

「俺はこのネタが分かる。だから皆も分かるはず。分からないのはバカだから」と思い込むことで自分を正当化する。

自分のネタは面白くて、誰もが笑ってくれる…と、根拠のない自信を持つ。

実に滑稽なものだ。お笑い芸人でさえ万人受けするネタを作るのは至難の業なのだから。

そしてそれを「面白い」と感じる人間もまた同じ。

そもそも、マジレスの何が悪いのか。



犬を猫だと言って憚らない奴に「それは犬ですよ」と指摘したとしよう。

ソイツがネタとして言ったにせよ、本当に猫だと思って言ったにせよ、犬は犬だ。

犬が猫になるはずがないのだ。

マジレスする側は「間違ったこと」などひとつも言っていない。



ネタにマジレスされて怒るアホも、その周りに集るゴミ虫も、等しく哀れむべき存在であろう。

奴らは「自分の意見」がないのだ。

多くの人間は「みんな」という概念に依存している。

具体的にどこからどこまで、誰と誰と誰を指したものなのかを説明することは出来ないが、とにかく「みんな」というものの存在を盲信してやまない。

そして「みんな」が右を向けば右を向き、「みんな」が左を向けば左を向く。

「みんな」が「ネタを理解できる」状態ならば、「ネタを理解できない方が異常なのだ」と思い込み、安心する。

「ネタを理解できないのはおかしい」「マジレスするのは空気が読めないからだ」と必死に言い訳をする。

そういう輩は「空気を読むこと」を至上としているのだ。

自分で「何が正しいか」を考える力が欠乏しており、他人に合わせて行動する。

他人と同じならば安心できるから。

自分一人では不安だから。

圧倒的な自分への不信感。

まともな人間というのは自分を信じることができる人間である。

ゆえに空気を読むなどという挙動不審な精神構造をしていない。

要するに「ネタにマジレス乙」と言って「指摘」から逃げる連中は全てにおいて未熟なのである。