とある事件

誹謗中傷で人を殺しておいて、

「テレビ・メディアが悪い」

などと責任転嫁するのは明らかに間違っている

テレビがどうとか、メディアがどうとか

関係ない要素を持ち出して愚行を正当化するヤツはきっと反省しない

テレビ番組は視聴者のレベルに合ったものしか放送しないのだ

視聴者の質が低いのに番組の質が上がるようなことはない

直情的で騙されやすくて鈍感……そんな視聴者に合わせて今の番組は作られている

そう言っても過言ではない

むしろメディアはこんな低俗で醜い視聴者に合わせる努力をしているのだから称賛されるべきだ

そろそろ、

人間は相手を「悪」と見なせば嬉々として牙を剥く邪悪で野蛮な生物である

ということを自覚するべきだ



『理由があれば叩いても良い』



中世……いや、もっと前の時代から……何も進歩していない

むしろ退化したんじゃないか

自分を正義だと信じて疑わないヤツほど醜いものはない

なぜ自分も人間という低俗な生物に含まれているということを認めたがらないのか

なぜ自分は神か天使にでもなったつもりでいるのか

自己満足と偽善で塗り固められた人生など、まっぴらゴメンだ

まして自分を正当化しなければ生きていけないようなひよっ子に落ちぶれるのはもっとゴメンだ

学ばない正義マン

山梨コロナのニュースのせいで再び正義マンが暴走を始めた。
この学ばない姿勢、反省しない姿勢は反面教師としては満点だ。
自粛警察の皆様はまるで中世の魔女狩りのようなことをやっていらっしゃる。
野蛮で愚かで知性の欠片も感じられない。
中には自粛しない人間を探すために外出する滑稽な輩もいるようだ。

「みんな頑張っているのに」

だから何だ。
みんな頑張っているからお前も頑張れ、とでも言いたいのか。
実にアホ臭い考え方だ、自分が勝手に頑張っているだけなのにそれを他者に押しつけ、従わなければ悪と決めつけ断罪する。
国民に権力を与えすぎた結果がこれだ、勘違いした正義マンたちがここぞとばかりにドブに落ちた犬をボコボコにする。
同調圧力に飼い慣らされた『多数派の奴隷』だ。
自分で考える力もなく、ただ周りに流されていれば良い、だってそうすれば「責任」を取らなくて良いから。

ただ何となく多数派に流され苦労しているフリをすれば簡単に『楽な生き方』を批判出来る。
免罪符もビックリのお手軽システムだ。

だが苦も楽も己が選んだ道だ、苦労の道を選んでおいて別の道を歩む人間に妬みをぶつけるのは滑稽だ。
楽な生き方をするのがずるい?
だったら楽な道を選べば良い。
それすらしないくせに、生き方を選ぶ度胸もないくせに批判するのはどう足掻いてもクソの所業だ。
クソのような奴は家畜小屋に捨てられてしまえば良い。

自分達には生まれながらに絶対的な自由・人権・正義があると信じて疑わない。
実に醜悪極まりない『正義』の歴史の再現だ。


私刑を行う人間はなぜテロリストのような屁理屈を掲げて安全圏から人を叩くのか。
本当に法が機能していないと思うなら法曹界に向けて叫べば良い。
ハエのように寄って集って反撃できない弱者を袋叩きにする行為が正義だと言うなら魔女狩りも歴史上の虐殺も全て正義だ。

グダグダと法に責任転嫁して自分達の暴力を正当化する前に改革する努力をしろ。
顔を真っ赤にして正義棒で他人を叩くよりずっと身のためだ。

大津の話をするならデマに騙されておいて反省すらしない三歳児レベルの正義マンどもに意見を聞きたいものだ。
法曹界の人間ですらミスをするのにド素人のバカどもが日頃のストレスを発散するために行動した結果無関係の人間にまで飛び火した。
デマはデマ 真実ではない、必ず綻びがある。
私刑容認派の野蛮人どもはその綻びを見出だすこともせず、鵜呑みにして他人を巻き添えにしたのだ。
法曹界には完璧を求めるくせに自分達のおざなりな審判(笑)には随分寛容なことだ、権力者を批判しておいてその実権力者の素質が大ありとは皮肉も良いところだ。
法曹界はプロだから完璧であるべき などと糾弾するならば尚更だ。
素人のくせに感情論で法曹界に石を投げ込み迷惑をかけ事態は終息しなくなり誰も救われない。
ヒーローに憧れているだけの無能じゃないか。
誰一人として救えないくせに何故正義感などという身の丈に合わない糞のようなものを持っているのか。



「法が機能していないから」
「正義だから許される」
「犯罪者の擁護をするのは犯罪者だけ」



どれだけ言葉を並べたところで素人の拙いヒーローごっこを正当化するだけの屁理屈だ。

いまだに多くの日本人が勘違いしていること

終戦から七十何年経っただろう

もはや興味も薄れてきたことだが

さて、未だに日本人の多くが勘違いしていることがある

戦争の勝ち負けに関して、だ


勝てば官軍 負ければ賊軍 アメリカの方が悪



腹を抱えて笑ってしまいそうになる冗談だ

戦争に参加しておいて、まるで自覚が足りていない

私も幼い頃は

A「じゃんけんで決めよう」

B「やった!勝った!」

A「不公平だ!」

なんて騒ぐ連中を見てきたものである

だが、大人になってもまだその間違った考え方から抜け出せないのはマズイ

単純な話だ

勝者こそ正義であり

敗者は悪である

それが嫌なら戦争になど参加するな

力なき者は口を慎むべきだ

愛国心など不要

先に言っておくと、

愛国心がない=国が嫌い

などということはない

愛国心はあって当たり前」

と、自称愛国者たちは口を揃えて言う

しかし、よく考えてみれば分かる

当たり前という言葉は誤魔化しであるということが



そもそも、国を愛するとは何か

これ見よがしに国旗をアイコンやプロフィール画像に使ってアピールすることか

日本は優れているという妄想から自分を過大評価し、劣化の一途を辿っていくことか

この愛国心というものは実にチャチで、つまらない

お前ごときに愛される国の立場にもなってみろ、という話である

愛とは所詮押し付けの美化

そこに美しさはない

そこにあるのは、全て人間の醜いココロの形である

愛、愛と免罪符のように都合よく利用し

己の愚行を正当化しているだけである

そんな偽りと邪悪の権化たるこの言葉を

軽々しく使う者は人ではない

勘違い正義マン

以前挙げた愚か者どもの中でも、

紅薔薇

此奴は特に頭が悪い。

支離滅裂というレベルではない。

何が善で何が悪か、何が正義で何が不正義かを全く理解出来ていない。

尚、こうして名前を挙げるのは間違ったことではない。

なぜなら彼らは覚悟しているから。

己の身勝手な正義感で他人を晒すような無自覚の悪人は、自分が同じことをされる覚悟もあるはずである。

さて、血反吐を吐きそうなくらい醜悪なこの正義マンの言い分とは。


(『法治国家で私刑は認められない』という正論に対して)

お前だって正義マンだろ!

法治国家で法律を無視して己の正義を振りかざす輩と、法治国家で身勝手な正義は認められないことを指摘するこの私。

どちらが正義マンなのか、分からないらしい。

ネトウヨがすぐ『ブーメラン!ブーメラン!』と喚くのと同じような構図である。

そもそもこれは人様への反論として成り立っていない。

(私刑を正当化する理由について)法律がしっかりしてないから!

まあこれはテンプレだ。

清々しいほどの正当化だ。

しかしこんな理屈を吐くのはテロリスト。

テロリストは己の歪んだ正義を呑ませるためにテロをやる。

それと同じ。

国や法律より自分の浅い感情論の方が正しいのだと本気で信じている。



わざわざ相手を悪と決めつけなければ何一つなし得ない。

正義、正義と言いながら感情論ばかり唱える。

このようなカスみたいな人間が歴史上で最も多く殺戮を繰り広げてきた。

聞こえの良い言葉で誤魔化し、偽ってきた。

愚か者の唱える正義など、所詮はゴミだ。

愚かで矛盾した生き物

愚かな正義

人間とは矛盾した生き物である。

他者のミスは鬼の首を取ったように叩き、自分のミスは正当化する。

そんなものだ。

世を支配する正義のヒーロー気取りの皆様も同じ。

「いじめは悪だ、撲滅しなければならない」と言いながらいじめを黙認しているのだから。

f:id:end-world000:20200416152902p:plain

これは例のいじめ事件に関する動画のコメント欄である。

これを見て民度の低さを感じ取れたなら、それは健全な証だ。

しかし、このコメント欄の多数派はこの「狂った正義中毒者」で構成されている。

誰も彼も、戯言ばかり。

この連中の最も邪悪なところは、自分達を正義だと勘違いしているところである。

彼らは法律など無視して自分達の感情ばかり語っている。

実に愚かだ。

考え方が情治国家そのものである。

法治国家たる日本にいて良い人種ではない。

そして彼らの理屈がまかり通るならば、彼らは

彼らの行動を不快に思った私によって裁かれても良いということになる。

「それとこれとは違う」

という意見があったが、全く違わない。

所詮彼らが騒ぐ理由は感情論である。

明らかに法定刑以上の罰を求めているし、

何なら死刑を求めている者もいる。

あまりにも無知で愚かで擁護できない。

人の下らない感情論のために軽々しく死刑判決を下せるようになれば、それはもはや世紀末だ。

そもそもなぜ他人事でそこまで騒ぐ?

遺族の気持ちを考えろなどと言う連中は、

では遺族の気持ちを理解しているのか?

していないだろう。

そういう連中は自分達の主観を遺族に押し付けているだけである。

身勝手な正義感で遺族の代弁者を気取り、

身勝手な理由で事を複雑にしているだけである。

言っておくが、彼らは正義のヒーローではなく、気取りである。

それは、彼らが全く役に立たないことからも明白であろう。

厳罰化の署名も、私刑も、全て無駄。

私刑に至ってはデマに騙され誤爆するマヌケまでいる。

しかし本人らは反省せず、嬉々としてやり続ける。

要は自己満足だ。

遺族のためなどというのは方便であり、事実ではない。

真に遺族のことを思うならば黙っていれば良いのである。

出しゃばったところで、無能に出来ることなどなにひとつないのだから。

開き直る正義中毒者

デマに踊らされて無関係の人間を吊し上げるバカどものことを、私は度々指摘してきた。

しかし、驚くべきことに彼らはその事実からあからさまに目を背けるのだ。

何故だろうか。

答えは簡単。

反省したくないからである。

彼らは自分達の行いを正当化するために都合の良い情報だけを選択している。

そのため、このような不都合な事実はそもそも認めようとさえしない。

実に害悪である。

部外者ほど無駄口を叩く

有名人が何かやらかすと、嬉々として批判に興じる。

毎度のことながら実に醜悪である。

今の今まで名前すら知らなかった相手のことを

今の今まで興味もなかった相手のことを

ニュース内容だけを鵜呑みにして叩く。

これは実に頭が悪い。

そしてこういう人間の厄介なところは「自分は正しい」と勘違いしているところである。


こういう正義の皮を被った愚行に走るアホどもに共通して言えるのは

他人の悪事に敏感で自分の悪事には鈍感

こういうことだ。

(むしろ自分の悪事を隠すために他人の悪事を大袈裟に騒ぎ立てているようにも見えるが…)

不倫報道で感情的になって騒ぐ理由も、

性格の悪さを誇張して批判する理由も、

まともな感性をしている私にはさっぱり分からん。

そもそも無関係なので。

そりゃそうである。

仮に応援していた俳優が何か不祥事を起こしたとしても、それで私には何の害もないわけだ。

部外者である私がその俳優に何かを言う義理など全くないのだ。

愚者にはこれが理解できないらしく、なぜか根拠もなく自分と有名人の関係性を盲信している。

自分をどんな存在だと思っているのか 非常に疑問だが。

「その部外者のおかげで〜」などと長々お説教をしてくれる人格者気取りのマヌケもいるが、全くもって的外れである。

君がいようがいまいが不倫は起きるべくして起きていただろうし、本人たちにとって君ごとき一般人はな〜〜んにも影響を与えないノミ程度の存在でしかないのだよ。

…とね。これだけの話だ。

同じ意見の人間が沢山いることを確認しなければ何も言えない有象無象の臆病者たちの

その中の一匹でしかない。

そういう自覚をすべきだ。

自分たちがいなければ有名になれなかった…などという思い上がりは捨てるべきだ。

才能ある人間は君たちのような取るに足らない存在がきてもいなくても、遅かれ早かれ成功するのだから。

そもそも、もっともらしい綺麗事を宣ってはいるが…結局「有名人だから」叩いているのではないか?

もし不倫を許せないというのならば一般人が不倫しても何も言わないことに矛盾が生じる。

むしろ一般人の方が、バレないところで不倫しまくりなのだから。

許せないのだろう?なら、なぜ彼らを糾弾しない?



成功している有名人が許せないだけではないのか?

嫉妬心は人を悪魔にするという。

元から悪魔のような心しか持ち合わせない愚民どもなら尚更であろう。



正義感が強いと言われる人間について私は基本的に信用しない。

正義感とはこの世で最も厄介なものだからだ。

正義と言えば何でも許される。

そんな腐った免罪符として使われる昨今の正義という言葉はもはや本来の意義からかけ離れた糞のようなモノでしかない。

一個人の私見や愚民どもの感情論に左右されるような、そんなモノは正義ではなくただのゴミだ。

まるで社会的正義や常識があるかのように吹聴する連中がいる。

しかしそれらは所詮勝手に作り出された紛い物でしかない。

私は正義の基礎を作ろうと試みた偉人たちに敬意を表している。

ゆえに軽々しく正義を侮辱する愚民どもは大嫌いだ。

薄汚れた路地裏を這いずるドブネズミのような意地汚いクズどもが

たかだかニュースで得ただけのにわか知識で有名人をこき下ろし

挙げ句自分達の身勝手で一方的な感情を無神経にぶつける。

「信頼を裏切った」だと?

信頼するのも裏切られるのもソイツ自身の自己責任だ。

勝手に信じて勝手に裏切られていれば良い。

いちいちそれを他人のせいにするのはバカとしか言いようがない。

他人をとやかく言う暇があるなら己のそのゲス以下の精神を叩き直せ。

安全圏から寄って集って一人の人間を叩く そんな野蛮な動物にも満たない稚拙な行いしかできないヤツが

くだらない正義感など持つな。

身の丈に合わない正義感は悪意より有害だ。



先日はある有名人のWikipediaが荒らされるという事件があった。

はっきり言って呆れるしかない。

キチガイ」だの「サイコパス」だの、

他人を貶めることしか考えていない低次元な連中がよくもまあここまで偉そうに批判できるものである。

さすが、罵倒の語彙力だけは豊富だ。

これも『ネタ』として言い訳をするアホが一定数存在するが、やはりつまらないモノをネタと言い張られてもそれは苦しい言い訳でしかない。

小学生が怒りに任せて相手に暴言を吐くのと同レベルの…とても拙い、次元の低い罵倒。

それのどこがネタだというのか。

人を笑わせることすらままならないド素人がしたり顔で、しかも自分から『ネタだ』と言い張るなど愚の骨頂。

そもそも、そういうことをやるのは倫理観に欠けたカスである。

遊びだと言えば誤魔化せる。

みんなやってるから大丈夫。

悪いことしたんだから自業自得。

ほうほう。

なるほど。

素晴らしい。今お前が言ったことは全て間違っている。

法が裁かなかった人間に対して私人が制裁を加えるなど世紀末以外の何者でもない。

それが許されるなら私がお前を裁いても良いということになる。

…そうだ。

一個人の尺度で他人を裁くなどあまりにもバカげている。

これを正当化する人間はおおよそ倫理観も道徳観もない未開人ということである。

そもそもWikipedia荒らしは悪いことである、というのは自明だ。

荒らされた記事は元に戻す必要があるからだ。

それらをやらねばならない人間に、『迷惑』をかけているのだ。

立派な悪である。

一方的で独善的な正義感に支配されてこのようなことをやっているのならそれは間違いなく『キチガイ』である。

ヒーローごっこなどやめて身の丈に合った生活を送っていれば良いのだ。

心配しなくとも、この世に『歪んだ正義感』は必要ないのだから。